足るを知るの意味と由来|老子の言葉と龍安寺の「吾唯足知」
足るを知るの意味と由来をやさしく解説します。もとになった老子の「足るを知る者は富む」という言葉、京都の龍安寺に伝わる「吾唯足知」のつくばい、がまんとは違う今の暮らしでの生かし方を紹介します。

「足るを知る」という言葉を聞いたことはありますか。座右の銘にしている人もいる、昔からの言葉です。
足るを知るとは、今あるもので十分だと気づき、満たされた気持ちで暮らすことです。もとは、中国の古い思想家・老子(ろうし)の言葉だとされています。
足るを知るの意味
「足る」は、十分である、満ちている、という意味です。
つまり「足るを知る」は、「もう十分にある、と知る」こと。欲しいものを追いかけ続けるのではなく、今手もとにあるものの価値に気づく、という考え方です。
足るを知るの由来は老子
足るを知るは、中国の古い書物『老子』に出てくる言葉がもとになっています。
知足者富(足るを知る者は富む)
(『老子』第三十三章)
「足りていると知っている人こそ、本当に豊かな人だ」という意味です。
どれだけ持っていても、「まだ足りない」と思えば、心はいつまでも満たされません。反対に、今あるものに満足できる人は、心が豊かでいられる。老子は、そう説いたと考えられています。
「止まるを知る」とも
『老子』には、「足るを知れば辱(はずかし)められず、止まるを知れば殆(あや)うからず」という一節もあります。ほどよいところで止まる知恵として、合わせて紹介されることがあります。
龍安寺のつくばい「吾唯足知」
京都の龍安寺(りょうあんじ)には、「吾唯足知」と刻まれたと言われる、つくばいがあります。つくばいとは、茶室に入る前に手を清めるための、低い手水鉢(ちょうずばち)のことです。
真ん中の四角い穴を「口」の字に見立て、まわりの四つの字と組み合わせると、「吾(われ)唯(ただ)足(たる)を知る」と読めます。
このつくばいは、水戸黄門で知られる徳川光圀(とくがわ みつくに)が寄進したもの、と伝えられています。
がまんとは違う
足るを知るは、「欲しがってはいけない」「がまんしなさい」という意味ではありません。
自分にとって何が大切かを知り、それがすでにあることに気づく。そうした心の持ち方だと言えるでしょう。
たとえば、新しいスマートフォンが出るたびに欲しくなる。でも、今使っているもので困っていないなら、それで十分かもしれません。そう気づいたとき、心が少し軽くなる。それが「足るを知る」の感覚です。
暮らしの中の「足るを知る」
昔の日本の暮らしには、足るを知る心がたくさん見られます。
- 古くなった着物を、ほどいて布団や雑巾に作りかえる
- 茶わんが欠けたら、継いで使い続ける
- 季節の旬のものを、ありがたくいただく
あるものを工夫して使い切る。こうした暮らし方は、「もったいない」の心とも重なります。
比べないこと
足るを知るのを難しくするのは、人と比べる気持ちです。だれかと比べると、自分の持っているものが急に小さく見えてしまいます。
比べる相手を、他人ではなく「昨日の自分」にしてみる。それだけでも、今あるものの大切さに気づきやすくなります。
よくある質問
足るを知るは仏教の言葉?
もとは『老子』の言葉とされています。ただ、仏教にも「少欲知足(しょうよくちそく)」という似た教えがあり、日本では両方の考え方がまざって親しまれてきました。
足るを知るは向上心がないということ?
そうではありません。今あるものに感謝しながら、目標に向かうこともできます。焦りや比べすぎから心を守る知恵、と受け止めるとよいでしょう。
今日の一歩
今日、身の回りで「もう十分にある」と思えるものを三つ書き出してみてください。家族、住まい、使い慣れた道具。何でもかまいません。
家に昔から受け継がれているものも、その一つかもしれません。たとえば家紋は、ご先祖さまから受け取った「すでにあるもの」です。わが家の紋は苗字から家紋を引くで調べられます。
文・つっちー



