節分の意味と由来|豆まき・恵方巻はいつから広まった?
節分の意味と由来をやさしく解説。本来は季節の分かれ目で、年に四回ありました。2027年の節分の日付、豆まきや鬼やらいの歴史、恵方巻が全国に広まった流れ、地域で違う習わしまで、短くまとめています。

節分とは、もともと「季節を分ける日」のことです。立春・立夏・立秋・立冬の前日を指し、昔は年に四回ありました。
今では、春が始まる立春の前の日だけを「節分」と呼ぶことがほとんどです。2027年の節分は、2月3日です(国立天文台の暦要項による)。
節分の意味|なぜ立春の前日なの?
昔の暦では、立春は一年の始まりに近い、大切な節目でした。そのため、立春の前日は「年の変わり目」のように考えられてきました。
年の変わり目には、悪いものが入りこみやすい。そう考えた人びとは、この日に厄をはらい、新しい季節を迎えようとしました。これが、今の節分の行事につながっています。
節分の日付は、立春の日で決まります。立春は、太陽の位置をもとに国立天文台が計算して決めます。そのため、節分はいつも2月3日とは限りません。
たとえば2021年の節分は、2月2日でした。2月3日でなかったのは、124年ぶりのことでした。これからも、年によって2月2日になることがあります。
節分の由来|鬼やらいから豆まきへ
節分の行事のもとの一つが「追儺(ついな)」です。「鬼やらい」とも言います。中国から伝わった、病気や災いを追いはらう行事です。
国立国会図書館の資料によると、日本では706年(慶雲3年)に行われた記録が『続日本紀(しょくにほんぎ)』にあります。もとは宮中で、大みそかの夜に行われていました。
豆をまく習わしが、いつ始まったかははっきりしません。ただ、室町時代の記録には、「鬼は外、福は内」と唱えて豆を打つ様子が書かれています。追儺と節分は、もとは別の行事でした。江戸時代には、すっかり結びついたと言われます。
豆を使う理由には、いくつかの説があります。
- 「魔を滅する(まめっする)」に通じるから
- 穀物には、邪気をはらう力があると考えられたから
どれも言い伝えとして語られてきたものです。
恵方巻・柊鰯|地域や時代で違う習わし
節分の習わしは、土地によってずいぶん違います。
- 豆の種類 … 大豆をまく地域が多いですが、落花生をまく地域もあります
- かけ声 … 「鬼は内」と言う所や、「鬼は外」と言わない所もあります
- 柊鰯(ひいらぎいわし) … 柊の枝に焼いた鰯の頭を刺して、戸口にかざる習わしです
柊鰯は、鬼が柊のとがった葉と、鰯を焼いたにおいをきらう、という言い伝えから来ています。今もかざる家は地域によってあり、見かける多さも土地ごとに違います。
まいた豆を拾って食べるのも、楽しみの一つです。落花生は殻ごとまくので、拾いやすく、むだになりにくいという声もあります。
恵方巻(えほうまき)は、その年の「恵方(縁起がよいとされる方角)」を向いて、太巻きを食べる習わしです。起こりには諸説あります。江戸の終わりごろ、大阪の商人の間で始まったという説がよく知られています。
全国に広まったのは、わりと最近です。報道によると、コンビニが1980年代に一部の地域で売り始め、1998年に全国で販売するようになりました。それまで恵方巻を知らなかった、という地域も多いのです。
よくある質問
節分に食べる豆の数は?
年の数、または年の数より一つ多く食べる、という言い伝えがあります。地域や家によって違います。小さな子どもは、のどにつまらせないよう気をつけてください。
恵方巻は昔からの習わし?
関西の一部で古くからあったとされますが、全国に広まったのは1990年代の終わりごろです。食べ方の決まりも、家ごとに自由でかまいません。
今日の一歩
子どものころ、家で節分をどう過ごしていたか、思い出してみてください。豆は何をまいたか、何と唱えたか。親や祖父母にも聞くと、家ごとの違いが見えてきます。
ちなみに、柊は家紋の図柄にもなっています。自分の家の紋が気になったら、苗字から家紋を引くで調べてみてください。
文・つっちー
わかる範囲で家族の名前を書くだけで、家系図から気質と才能を読み解きます。登録は要りません。無料です。



