天神さまとは?菅原道真と天満宮|なぜ学問の神様なのか
天神さまとは、平安時代の学者・菅原道真をまつった神さまのことです。天満宮とのつながり、なぜ学問の神様と呼ばれるのか、梅や牛との関係をやさしく解説します。受験の時期に名前を聞く天神さまの由来がわかります。

天神(てんじん)さまとは、平安時代の学者で政治家だった、菅原道真(すがわらのみちざね)をまつった神さまのことです。
天神さまをまつる神社が、天満宮(てんまんぐう)や天神社です。道真がすぐれた学者だったことから、「学問の神様」として、今も多くの受験生がお参りします。
菅原道真とはどんな人?
菅原道真は、845年に生まれました。菅原家は、代々学問で朝廷に仕える家でした。
道真は子どものころから学問にすぐれ、漢詩(中国風の詩)や和歌を得意としたと言われます。やがて学者としてだけでなく、政治家としても認められ、天皇に重く用いられて、右大臣という高い位にまでのぼりました。
ところが901年、道真は、ぬれぎぬとも言われる疑いをかけられ、九州の大宰府(だざいふ)へ送られてしまいます。都を離れるとき、家の梅の木に向けて詠んだとされる歌が知られています。
東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花(『拾遺和歌集』より)
「春の東風が吹いたら、香りを届けておくれ、梅の花よ」という意味です。道真は都に帰ることなく、903年に大宰府で亡くなりました。
大宰府での暮らしは、とても質素なものだったと伝えられています。それでも道真は、詩を書きつづけたと言われます。
天神さまと天満宮の由来
雷の神さまとしての天神
道真が亡くなったあと、都では災いが続きました。道真を追いやった側の人々が次々と亡くなり、930年には宮中に雷が落ちる出来事も起きました。
人々は、これを道真の怒りではないかとおそれました。そこで、道真の魂をしずめるために神さまとしてまつった、と言われます。もともと「天神」は、天の神、とくに雷の神を指す言葉でした。雷と結びついた道真は、「天神さま」と呼ばれるようになったのです。
京都の北野の地に、道真をまつる社殿が建てられたのは947年と伝えられます。また、大宰府では道真の墓所の上に社殿が建てられました。
学問の神様になった理由
はじめはおそれられた天神さまですが、時代がたつと、道真の学問のすぐれた姿に目が向けられるようになりました。
- 江戸時代の寺子屋(子どもの学び舎)では、天神さまの絵をかざったと言われます
- 学問や書道の上達を願って、お参りする人が増えました
また、道真は書の名人としても知られ、平安時代の書のすぐれた人の一人に数えられることもあります。詩や和歌、書、そして政治。いくつもの分野で力を発揮した人だったのです。
こうして、天神さまは「学問の神様」として親しまれるようになりました。天満宮や天神社は、全国に約12,000社あると言われます。
梅と牛のなぞ
天満宮では、梅と牛をよく見かけます。
- 梅 … 道真が愛した花です。大宰府まで梅が飛んでいったという「飛梅(とびうめ)」の言い伝えもあります。梅の花をかたどった紋は、天満宮の神紋として知られています
- 牛 … 道真が丑年生まれだったから、亡きがらを運ぶ牛が動かなくなった場所に葬られたから、などの説があります
よくある質問
天満宮と天神社はちがうの?
どちらも菅原道真をまつる神社で、まつる神さまは同じです。名前の違いは、それぞれの神社の歴史によるものです。
天神さまにお参りするのは受験生だけ?
そんなことはありません。資格の勉強をする大人や、書道や習いごとをする人もお参りします。学ぶ気持ちを新たにする場所として、親しまれています。
今日の一歩
近くに天神さまをまつる神社があるか、地図で探してみてください。思ったより身近な場所に見つかるかもしれません。
菅原氏のように、名字には遠い昔の家の歴史が残っていることがあります。わが家の名字のなりたちは、苗字の由来で調べられます。
文・つっちー



