沢瀉紋の意味と由来|勝ち草と呼ばれた理由と使った家
沢瀉紋(おもだか紋)の意味と由来をやさしく解説します。葉の形が矢じりに似ていることから「勝ち草」と呼ばれ、武士に好まれました。毛利元就とトンボの言い伝え、水野家・福島正則など使った家、主な種類をまとめました。

沢瀉紋(おもだかもん)は、水辺に生える草・オモダカを図にした家紋です。葉の形が矢の先(矢じり)に似ていることから「勝ち草(かちぐさ)」とも呼ばれ、戦に出る武士に好まれました。
十大家紋(じゅうだいかもん。とくに多く使われる十の家紋)の一つでもあります。
沢瀉紋の由来 なぜ「勝ち草」?
オモダカは、田んぼや沼に生える草です。夏に白い小さな花を咲かせます。
葉は、先がとがった矢じりのような形をしています。そこから「勝軍草(かちいくさぐさ)」「勝ち草」と呼ばれ、縁起のよい草とされました。
沢瀉の模様は、平安時代の貴族も使っていました。公家の久我家(こがけ)などが、牛車の飾りにしたと言われます。その後、武士の鎧や着物の模様にもなり、やがて家紋として広まっていきました。
毛利元就とトンボの言い伝え
沢瀉紋には、よく知られた言い伝えがあります。
中国地方の戦国大名・毛利元就(もうり もとなり)が戦に出たとき、沢瀉の葉にトンボがとまっているのを見ました。トンボは前にしか進まないことから「勝ち虫」と呼ばれます。勝ち草に勝ち虫がとまったのを良いしるしと見て、元就は戦に勝った、という話です。
これにちなんで、毛利家は沢瀉を替紋(かえもん。正式な紋とは別に使う紋)にしたと伝えられます。ただし、これは言い伝えとして語られている話です。
沢瀉紋の種類と、使った家
主な種類
- 立ち沢瀉 … まん中に葉、両わきに花を立てた、基本の形
- 丸に立ち沢瀉 … まわりを丸で囲んだ形。家紋でよく見かけます
- 水沢瀉(みずおもだか) … 流れる水をそえた形
- 抱き沢瀉 … 葉で丸く抱くような形
見分けるときは、まん中の葉の形を見てください。先がとがった三角の葉が一枚、まっすぐ立っていれば沢瀉です。その両わきに、小さな花が段になってついています。
形が似た紋に「水葵(みずあおい)」があります。こちらは葉が丸みをおびたハート形なので、とがった沢瀉とは区別できます。家に残る紋がどちらか迷ったら、葉の先を確かめましょう。
使った家
沢瀉紋は、江戸時代の大名や旗本に広く使われました。
- 水野家 … 徳川家康の母の実家。「水沢瀉」で知られます
- 福島正則 … 豊臣秀吉の親せきの武将。「福島沢瀉」を使いました
- 木下家 … 秀吉の妻の実家の流れ。「木下沢瀉」で知られます
- 毛利家 … 替紋として、抱き沢瀉の形の「長門沢瀉」を使いました
ほかにも、土井家、稲垣家、奥平家などが沢瀉紋を使っています。豊臣秀吉も、桐の紋を受ける前は沢瀉を使っていた、という説があります。
こうして見ると、沢瀉紋は豊臣家の親せきや、徳川家に近い家に多いことがわかります。江戸時代には、大名や旗本だけで100をこえる家が使ったと言われます。
家の名前がついた「福島沢瀉」「水野沢瀉」「木下沢瀉」などは、それぞれ葉や花の形が少しずつちがいます。同じ沢瀉でも、家ごとに工夫をこらしていたのです。
沢瀉を神紋(神社の紋)とする有名な神社は、あまり知られていません。沢瀉紋は、おもに武家の紋として広まった紋だと言えます。
よくある質問
家紋が沢瀉なら、武士の家?
そうとは限りません。沢瀉紋は、江戸時代以降に多くの家へ広まりました。紋だけで、先祖の身分は決められません。
オモダカは、今も見られる?
はい。田んぼのあぜや池のまわりで、夏に見かけることがあります。矢じり形の葉が目じるしです。
今日の一歩
夏に田んぼの近くを歩いたら、矢じりのような葉の草を探してみてください。それがオモダカです。紋の形と見くらべると、昔の人が何を見ていたのかがわかります。
「勝ち草」の紋に、どんな人の姿が似合うでしょう。家紋を人にするで、沢瀉の紋を人の姿にしてみましょう。
文・つっちー



