葵紋の意味と由来|徳川の三つ葉葵と賀茂神社の二葉葵
葵紋の意味と由来をやさしく解説。徳川家の「三つ葉葵」と、京都の賀茂神社の「二葉葵」はどうつながるのか。葵という植物、名前に込められた説、江戸時代に使い方が限られた話まで、家紋の基本としてまとめました。

時代劇で「この紋所が目に入らぬか」と見せられる印籠(いんろう)。そこに描かれているのが、徳川家の三つ葉葵(みつばあおい)です。
葵紋は、もともと京都の賀茂神社で大切にされてきた葵の葉が、もとになったと言われます。神さまにゆかりのある植物が、のちに武家の紋になっていきました。
葵紋のもとになった植物
葵紋の「葵」は、夏に大きな花をつけるタチアオイではありません。もとになったのは、フタバアオイという小さな草だと言われます。
- 山の木かげに生える、背の低い草
- 茎の先に、ハートの形をした葉が2枚つく
- 花は小さく、葉の下にかくれるように咲く
この2枚の葉の姿を図にしたものが「二葉葵(ふたばあおい)」です。
葉の形が、ゼニアオイなどのアオイの仲間に似ていることから「葵」の名がついたと言われます。ただ、植物の分類では、フタバアオイはアオイの仲間ではなく、別のなかまに入ります。名前と分類がずれているのも、おもしろいところです。
葵紋の種類
葵紋には、いろいろな形があります。
- 二葉葵 … 2枚の葉を描いたもの。賀茂神社とゆかりが深い
- 三つ葉葵 … 3枚の葉を丸く組んだもの。徳川家の紋として有名
- 立ち葵 … 茎と葉が立ち上がった姿を描いたもの
同じ葵でも、葉の数や向き、丸で囲むかどうかで、別の紋として区別されます。
賀茂神社の二葉葵と葵祭
フタバアオイは、京都の上賀茂神社と下鴨神社(あわせて賀茂神社)で、神さまにゆかりのある草として大切にされてきました。二葉葵は、賀茂神社の神紋(しんもん。神社の紋)として知られています。
毎年5月15日に行われる葵祭(あおいまつり)では、行列の人や牛車などをフタバアオイの葉で飾ります。祭りの名前も、この葵からきています。
「あおい」という名前の説
「あおい」は、古くは「あふひ」と書きました。これを「逢う日(あうひ)」、つまり神さまに会う日と結びつける説があります。言葉の遊びのようにも見えますが、神事と縁の深い草らしい解釈です。
徳川家の三つ葉葵の由来
徳川家康の家は、もとは三河(いまの愛知県東部)の松平(まつだいら)という家でした。松平家が葵紋を使った理由には、いくつかの説があります。
- 三河の松平家が、賀茂神社とゆかりがあったという説
- 同じ三河の家臣の家から、葵紋を受けついだという説
どれが正しいかは、はっきりしていません。ただ、葵紋がもともと神事と結びついた紋だったことは、多くの説で共通しています。
江戸時代は使える人が限られた
徳川家が天下を治めると、三つ葉葵は特別な紋になりました。江戸時代には、徳川家とその一族以外が葵紋を使うことは、きびしく控えられたと言われます。
一方で、家臣の本多(ほんだ)家などは、葉が立った形の「立ち葵(たちあおい)」を使っていました。同じ葵でも、形を変えて受け継がれてきたのです。紋の形を見るだけで、その家が歩んできた道が少し見えてくるのは、家紋のおもしろいところです。
よくある質問
葵紋の家は、みんな徳川家の子孫?
そうとは限りません。葵紋には二葉葵や立ち葵など、いくつも種類があります。神社とのつながりや、家臣としての縁で使ってきた家もあります。
葵の葉は何枚が正しい?
紋によって違います。賀茂神社の二葉葵は2枚、徳川家の紋は3枚の葉を丸く組んだ形です。枚数や並べ方で、別の紋として区別されます。
今日の一歩
家のお墓や紋付きに、葵の葉の紋がないか見てみましょう。葉の数や、葉が立っているか寝ているかで、ちがう紋だとわかります。
紋の形がわかったら、その紋に込められた物語を人の姿にして楽しむこともできます。家紋を人にするで、葵紋の新しい顔に出会ってみてください。
文・つっちー



